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ばく の音楽活動と日常を綴るブログ since August,2003
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一昨日の記事で母校の近くを歩いた、と書いたけど、
そのときこんな写真も撮っていた。
はい、当ブログでは何度も登場している東京タワー。
その存在は富士山と同じで、そこに見えればつい見上げてしまうし、
ちょっとアングルが気に入れば、写真に撮りたくなるし、ってんで、
今回もシャッターを切ってしまったと。

空、青いねぇ。
タワーがよく映えている。

あの「ALWAYS・三丁目の夕日」で、昭和30年代の東京の景色を
再現するときにこだわったのが空の色だったという話を聞いた
ことがある。高度成長期になろうかというあの時代、
東京の空は今のように決して青くはなかったということなんだね。
(今や大陸のどこぞの国がそんな状況なのかな?)
自分が幼く、ただボーッとしていただけかも知れないけど、
たしかにあの頃の思い出の中に「青い空」を見た記憶はない。
むしろ、駅前の工場の煙突からモクモクと立ち上がる煙だったり、
窓を閉めないと異臭が入り込んでくる電車だったり、
学校の授業でも四日市の深刻な公害のことを教わったりという具合に、
今に比べれば遥かに環境衛生的には酷い時代だったと思える。

で、この東京タワーの写真を見ていたら、
「三丁目の夕日」の舞台が、一体どこなのか気になったので
ネットで調べてみた。

すると、 こんなブログが見つかった。

映画の中では、その街並みや人々の暮らしぶりが
妙に下町的でやや違和感があったんだけどね、
たしかに、あの辺りには最近まで下町的な風情はあったような。
いや、白金だって六本木だって、
道の一本後ろ側は、結構下町っぽいんだよな。
ていうか、
昭和30年代には、まだまだ東京にも人情があったと。

ま、そんなまとめにしときましょ。



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抜歯から一週間、
今日は「抜糸」をしに病院へ。

「Oさん、回復が早いですねぇ!驚きました。」と、例の女医さん。

自分としては、どちらかと言えば、
傷の治り難いタチだと思っていたので、
そう言われて嬉しくないわけがない。
というわけで、とりあえず親知らず歯の治療はおしまい。
(もちろん、傷の痛みはまだあるけどね)







話は変わって、上の写真。
僕にとってのもうひとつの地元「大井町」駅近くの飲食街。
一杯飲み屋やスナックが軒を連ねているわけさ。
新宿のゴールデン街なんかと同じ成り立ちなのかな?
終戦後の「闇市」の流れだろうか??
著名人もフラッと立ち寄る「通」な店が今も残ると聞く。
僕にとっては子供の頃、
この写真の奥のほうにある「洋食屋」に、
よく親に連れられて来たよなぁ。
生まれて初めてグラタンを食べた時の記憶が蘇る。
ハンバーグも美味しかったぁ。

いつか大人になったら、
こういう飲み屋に通うようになるのかな?って、
漠然と思っていたんだけど、
結局そんな大人にはなれなかったなぁ・・。

そんな意味もあって、
今も僕にとってこの飲食街は、
少しだけ妖しく、神秘な場所のままなのだ。





JR O町駅の線路沿い、
小学校の低学年のころ、よく歩いた道だ。
何年か前、 「もうひとつのBAKU's LIFE」に書いたあの道だ。
今日は訳あって、懐かしいこの道を歩いた。
今ではこうしてすっかり舗装されてしまっているし、
何軒かのビルも立ち並んでいるけれど、
昔は低い垣根と、うねった未舗装道路が続いていたように
思うんだけど、、どうだったかなぁ・・。

突き当たりでやや右に曲がり、
さらに道は細くなり、そしてなおも線路伝いに道は続いて行く。

今でも懐かしい友達の家はあるだろうか?
そんなことを思ってしまったものだから、
通りの家の表札を確かめながら歩く僕であった。

S光寺、、。
そうそう!ここのお墓でよく忍者ごっこをしたっけなぁ。

で、このお寺の向かい側に「I」の家があったんだけど、、

・・・・、

すっかり整地をされ、きれいになっていた。



暑く長かった今年の夏もようやく終盤。
今日で8月もおしまい。

子供の頃は、夏休みの間にすっかり身についてしまった
怠け癖のせいで、今夜あたりは相当の気の緩みを感じつつも、
明日から始まる新学期へはそれなりの期待感も
あったりしてね、、。
なんとなく落ち着きのない8月31日、その夜だったな。

しかも、間違いなく宿題は幾つか残したままだったよなぁ。
ボクのことをよく知る人なら、多分想像に難くないと思うけれど、
たとえ明日から学校が始まるとしても、
宿題の提出日当日ギリギリまで、それは先延ばしにするタイプ
だったからなぁ。
もちろん、大部分はやってはあるんだけど、
完璧を期さないというか、詰めが甘いというか、、。
ま、昔っからそんなヤツだったのさ。

ぁ、、「新学期への期待」と言っても、学業のことじゃないの。
もっぱら矛先は、「席替え」。

そんなボクも、今は立派に更生。
少なくとも本業に関しては、締め切り厳守。
安心確実。
きめ細かい仕事ぶりが信条。

その分、私生活が、、、。






僕が物心ついた頃、父方の祖母はすでに亡くなっていたので、
祖母の記憶はまったくない。

が、どうも三味線のお師匠さんだったらしいことは
両親の口から聞いて知っていたのだが、
今日それが事実として確認できた。

祖母は、小唄と三味線のお師匠さんをやっていたそうだ。





ようやく仕事の山場を越え、かなりホッとしている。
世に言うゴールデンウィークの初日(ふつか目?)は、
絶好の行楽日和だったにもかかわらず、すっかり朝寝坊。
起きたあとも、まったくの「腑抜け」状態であり、
特に何をすることもなく、日がな一日を過ごす。
ま、たまには許してちょーだい。

それでも夕方は、いつもの大型ショッピングモールへ。

で、、
駐車場へ車を停めると、
(昨日の記事の延長のようで申し訳ないが・・)
目の前に、日産ブルーバードSSSクーペじゃございませんか!!
しかも、色は人気のサファリイエロー。
昔はこいつをラリー仕様にしていた走り屋が多かったんだよなぁ。
でっかいCIBIEのフォグランプなんかを付けてね、
キャップは外して、黒いスチール製ホイールを
むき出しのまま走るわけさ。


なんか、古いクルマの話になるとオタクっぽいね?


あの頃は、既に今の自宅に住んでいて、
市民会館で開かれた成人式の式典にいそいそと出かけたっけ。
頭はやや長めで、パーマは美容院でかけてた。
茶色いスリーピースを着て、、靴のカカトも少しだけ高かった。
当日のお偉いさん方の挨拶なんかは全く記憶がないんだけど、
ゲストに「愛と風のように(ケンとメリー)」のバズが来ていて
30分くらいのコンサートをやったっけなぁ。
その時の最新シングルだった「わかれ」という曲が
すごく印象に残ってる。

Kヤイリのギターを弾いて2年目。
ギターと唄うことが楽しく感じ始めた頃。
CSN&Yのコピーに夢中だった頃かな。
オリジナルは、ボチボチ書き始めてた頃かも。
朝は登校せずに、近くの雀荘へ直行。
そのまま午後3時頃までご学友と麻雀。
そのあとサークルの部室へ寄ってバンド仲間と練習。

ぁあ、、セピア色の思い出だ。

(セピア色に染まるBAKUJINのメンバーが見え隠れしてる・・・)



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PROFILE
HN:
ば く ( BAKU )
HP:
性別:
男性
自己紹介:
Man of middle age
Singer;Song writer;Guitar player
東京都出身・O型・魚座
1995年3月:音楽活動再開
【BAKUJIN】【Fu's all time】等
バンド活動多数。
加えて、現在も
【えにし】【りずみん】
【So-BAND】【SPUU】etc...

バンド活動であったり、
ギター弾き語りストであったり、
ウクレレ講師であったり、
サポートギタリストであったり。
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