ばく の音楽活動と日常を綴るブログ
since August,2003
先日「弾き語りナイト」で演奏した時の話を書いた。
「きみ達の音楽には・・・」と言葉をかけて下さった方の話である。
今回の僕らの演奏を聴いたその方から、
またしても、最高に嬉しい言葉をいただいた。
敢えて、その言葉はここに書かない。
僕にとっては、宝物のように大切にしたい言葉だから。
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昨日のHOTコロッケは、平日にもかかわらず、随分と賑やかだったようだ。
HPを見ると、pekoさん、momokoさん、鈴木さん、
ケーちん、HOTクラブ、spicy potato、おっぴん、、。
同店を通じて存じ上げる面々ばかり、よくまあ一晩に
これだけの顔ぶれが集まったなぁと感心してしまう。
で、、思うのは、
たとえば僕がこの場に居合わせたとして、たぶん1、2曲は
飛び入りで演奏させていただくことになったとしよう。
じゃ、何を演る?
まずオリジナルは有り得ないから、フォーク系若しくは
Jポップス系のカバーっていうことだろうか。
でも、出演の皆さんと被っても面白くないだろうから、、
ゆうべの場合なら、おそらく「江戸川スリム」さんと絡みたくて、
ブルースを演奏しただろう。(正しくは、ブルーズなのだョ。)
もっとも、スリム氏とはまだ一度も面識がない。
ご活躍の様子を拝見するにつけ、いつかは氏のライブを体験したいと
思っているのだが、これがなかなか実現しない。
かと思えば、ゆうべのように飛び入りで出演もなさっているらしい。
まことに残念である。
こういう事は、何もHOTコロッケだけではなく、「イフ」の
ライブスケジュールを見ても、いつも歯軋りをすることの多い僕なのだ。
一部の方はよくご存知のように、僕の場合、いわゆる「飛び入り」とか
「セッション」では、その場の雰囲気で演奏内容を決めてしまう
ところがあって、これといった決めのパターンがない。
特にロックだブルースだというミュージシャンと
遭遇しようものなら、血が騒いで仕方がなかったりする。
弾き語りでロックしたい、などと欲をかく。
結果、、絡みたくなる。
アメリカンフォークが受けると思えば、
歌いかじりのPPMを歌ったりもする。、
これ、、良くないよなぁと思う。
自分がない。
ミュージシャン同士って、何時間話すよりも、一発「音」を出せば
分かり合えてしまうような部分が(たとえ思い違いでも)あって、
ならば普段通りの音を出せばいいところなのに、
僕はそれをあまりやらない。
だって、所詮1.2曲では、自分を説明しきれないから。
思いはここに尽きる。
「フォークナイト」に出れば「フォークの人」って思われるだろうし、
「ソロ」でしっとり歌っていれば、「ボーカルの人」って思われるだろう。
「セッション」で、ブルースだクラプトンだとやっていれば、
また違った見方をしてくれる人もいるだろう。
でも、どれもが僕である、と同時にどれかひとつが僕、ということでもない。
そこで、さらに思うのだが、
こんな僕の曖昧な音楽性の支えになっているのが、
やっぱりBAKUJINの存在なのだと思う。
自分の音楽的な志向やルーツ、心情、心意気、、
それらをギュっと詰め込んで「オレはこれだよ。」って、
拙くも表現させてもらっているからこそ、いつもは好き勝手演っていられる、
そんな気がしてならない。
(もちろん、そのワガママに付き合ってくれるメンバーは大変だけど)
さて、いよいよ明日は「BACK IN TOWN」でのライブだ。
僕らより少し上の世代の耳の肥えたお客様が多いと聞く。
否、耳が肥えているどころか、日本のフォークミュージックを作り、
支えてきた人達の前でのステージとなる。
そういえば以前、同店の「弾き語りナイト」に出させていただいた時、
ある方に、
「君達の音楽は、『オレらはこれが好きで好きで仕方がない!』って、
言っているのが分かるよ。」という嬉しいお言葉をいただいた。
そして、「それが大切なことなのだ。」とも言われた。
その言葉に恥じぬよう、明日は頑張りたい。
ちょっと「正念場」な気分。
駅裏の銭湯の隣りには広い空地があった。
ある夏の日の夜、その空地の草むらに、
一匹の赤茶色をした雑種犬が丸くうずくまっている事に、
我が家は気がついた。
首輪はしていない。
ハァハァと荒い息遣いで長い舌を出している。
よく見ると、横たわる腰からうしろ足にかけて出血していた。
傷を見る気にはなれなかった。
明らかに弱っている風で、腰が立たない様子だった。
「車に轢かれちゃったのねぇ・・・かわいそうに。」母親がそう言った。
たしかに、この場所と国道一号線とは、ほんの100メートルほどの距離しかなく、
真っ直ぐに見通せる位置にあったから、その想像は間違っていなかったと思う。
翌日。
我が家はせめてもという思いで、傷ついた犬に水と餌を持って行ってやることにした。
が、どうやら同じ思いにかられた人がいたらしく、既に犬の周囲には器が用意され、
若干の水と餌が与えられていた。
よく見ると犬は、これもまたその誰かが用意したであろうダンボールの上に横たわっている。
しかし、、相変わらず腰は立たず、さらに衰弱している様子が見て取れた。
『・・・・。』
幼いながらも、犬の運命に絶望的なものを感じていた僕は、
黙ってその場で見守るのが精一杯だった。
あくる日の夜、僕はふたたび家族と様子を見に行った。
が、食器類とダンボールを草むらに残したまま、
犬の姿はどこにも見当たらなかった。
ふと親父が漏らした。
「赤犬だから、、誰かが連れて行っちゃったのかもなぁ・・。」
当時はまだ、赤毛の犬を食用に捕獲する業者がいた時代である。
下手をすると、家の前に繋がれた飼い犬でさえ連れ去られる事があったという。
真相はともかく、思いがけない結末に、
大きなショックを受けた僕であった。
小学校から駅までは約800メートル。
時間のない朝はバスを利用していたが、
帰り道はたいていクラスメートと道草をしながら
駅を目指すことになる。
子どもの足でも普通なら15分程度のところ、
最低でも30分はかけていただろうか。
歩道に敷き詰めた平板の隙間を傘の柄の尖ったほうで
ほじくってみたり、道端に蟻の巣を見つけては、
入り口の穴を塞いでみたり、ひどい時は足で土を
かけてしまったりと、、男同士だとロクな事をしない。
ところがこれが、たまたま女の子と帰るとなると
大分様子が違ってくる。
ツツジの花を摘んでは、ほのかに甘い蜜を吸う。
互いにオオバコの茎の芯を取り出し、それを絡めて引き合う。
もちろん切れたほうが負け。
オナミノの実を、好きな子の背中にこっそり付けたままに
したり。
その度に、はしゃぎ、走りまわるものだから、
ランドセルの中のノートや筆箱も飛び跳ねて、
ガシャガシャと音を立てていたっけ。
道草、、かぁ。
そういえば近頃、オオバコもオナミノも、
都会ではすっかり見かけなくなった。
いや、、ランドセルを背負った小学生も
あまり見かけない。
「サンダー」という名前の犬を飼っていた。
毛色は薄い茶色。オス。大型の秋田犬であった。
生後3ヶ月頃から我が家の一員として迎えられた。
家族の順位でいえば、次男坊の僕のさらに下位、
つまり、三男坊になるはずなのだが、実際のところ、サンダー自身が
僕の弟分と思っていたかどうかは疑わしい。
毎朝毎晩、彼を散歩に連れ出すのが日課になった。
休みの日には、歩いて15分ぐらいの公園にサンダーを連れ、
兄弟は野球グローブ持参、家族全員散歩へ出かける事もあった。
公園の広場には、同じく散歩に来ている犬連れの家族がいて、
中には犬を通じて飼い主同士が親しなるケースもあった。
たった一度だけだが、
両親がキャッチボールをした事があったっけ。
親父とはたまにキャッチボールをしていたので、
何の不安もなかったのだが、問題は母親だ。
『だいじょうぶ?できるの?』
兄弟の不安をよそに、
親父がゆっくりと振りかぶり、母親目掛けそろりとボールを投げた。
案の定、、母親はグローブを頭上に差し出すだけで、
恐怖に首をすぼめてしまうのがせいぜいだった。
後にも先にも、キャッチボールをする母親の姿は、これ一度きり。
『かっこ悪ぅぃ・・』 そう思った。
点々と転がるボール。
それを夢中で追い走るサンダー。
何気ない、どうということもない休日の風景。
僕らにとっても、サンダーにとっても、
最高に幸せなひとときだったはずだ。
なぜなら数年後、
サンダーは近所の酔っ払いに毎晩のように
暴力を奮われるようになり、
やむなく母親の実家へ預けることになったから。
家族は半年に一度ぐらい、彼に会いに出かけはしたものの、
二度と一緒に過ごすことはなかった。
そのままその地で、彼は6年の生涯を閉じた。
「お兄ちゃんの行ってる学校へ僕も行く。」のひとことで、
僕は6才という年齢にもかかわらず、ひとりK市から東京の大井町まで
電車通学をすることになる。なんという無謀なことを、と思う。
それを許した親も大したものだと思う。
当時は、いわゆる「越境入学」というのが、普通に存在していて、
僕も品川区の知人の家に住民登録をしていたという事らしいのだが、
それにしても、この通学距離は、非常識且つ危険極まりないと思うわけで、
延長距離的に「学校一」であった事は疑う余地がないだろう。
しかも、実際は僕が小学校へ入学した年に、兄貴はそこを卒業して、
中学校へ進学している。通う地域こそ一緒だが、そういう意味では
決して面倒見の良い兄貴ではなかったから、手を取り合って
ラッシュアワー時の電車に乗ったなんて事は、まずもってない。
昭和30年代の後半といえば、日本は高度成長期を迎える頃であり、
急速な人口増加や都市化に、インフラはじめ交通環境の整備が
間に合わず、世界一のラッシュアワーとなって出現した時代である。
そこへ、身長140センチもあるかないかのランドセルを背負った坊主が、
大人の間で、もみくちゃになって乗っているわけだ。
自分の息子のことを想像すると、何度も言うようで申し訳ないが、
それを許した親も親だと思ってしまう。
電車とバスを乗り継ぐこと約一時間。
目指す小学校へ辿り着くのだが、これがごく普通の公立校。
もっとも、当時区内では「品川の学習院」と評判の歴史ある公立校で、
最近になってこそ落ち着いたものの、
それでもいまだに、先進的でちょっとは知られた学校らしい。
ある日のこと、僕の通学の様子が心配になったお袋、
学校からそっと、僕のうしろをつけて来たそうだ。
校門を出て、バスに乗るかと思いきや、ブルブルと傘を振り回し、
国鉄の線路沿いをダラダラ歩いて大井町駅へ向かう息子。
電車内でも落ち着きのない僕を見て、ハラハラしていたらしい。
乗換駅のK駅に到着。階段を上り、隣りのホームへ移る僕。
そして、乗車。イスに座ったと思ったら、発車時刻までの間も
吊り革に傘はぶら下がるは、車内の鉄の柱を片手で掴み、
ぐるぐると回転するはと一向に落ち着かない。
果ては再びホームへ飛び出し走り回るという傍若無人ぶりに、
さすがのお袋が声を上げた!
「さとしクンっ!!!」
「!!・・・。」
その場で僕は、縮み上がっていたそうだ。
あの時のお袋の声、今もコダマしている。
でも、そのあとの事は、なんにも憶えてないのだ。
結局、懲りてない。
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PROFILE
HN:
ば く ( BAKU )
HP:
性別:
男性
自己紹介:
Man of middle age
Singer;Song writer;Guitar player
東京都出身・O型・魚座
1995年3月:音楽活動再開
【BAKUJIN】【Fu's all time】等
バンド活動多数。
加えて、現在も
【えにし】【りずみん】
【So-BAND】【SPUU】etc...
バンド活動であったり、
ギター弾き語りストであったり、
ウクレレ講師であったり、
サポートギタリストであったり。
Singer;Song writer;Guitar player
東京都出身・O型・魚座
1995年3月:音楽活動再開
【BAKUJIN】【Fu's all time】等
バンド活動多数。
加えて、現在も
【えにし】【りずみん】
【So-BAND】【SPUU】etc...
バンド活動であったり、
ギター弾き語りストであったり、
ウクレレ講師であったり、
サポートギタリストであったり。
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