ばく の音楽活動と日常を綴るブログ
since August,2003
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半ズボンといっても、
近頃の子供が履いているような丈が膝上まであるような
デザインのじゃない。
もっと短いやつだ。
このごろは幼稚園生だって、あまり履いていないかも知れない。
しかも、親は成長の早い子供に何年間も着せるべく
大抵の服は大き目のサイズの物を買い与える。
なのでその半ズボンときたら、短い上にダボダボとくる。
校庭で体育座りをしたり、滑り台を滑り降りたりすれば、
ズボンと太ももの隙間から、白いパンツが見えてしまうのだ。
子供心にもその決まりの悪さといったらなかった。
もっとも、パンツが覗くぐらいならまだいいほうで、
ゴムの伸びきったパンツでも履いていようものなら、、、。
男友達にはからかわれ、女子からはエッチ呼ばわりだ。
「もうこんなズボン、イヤだ!」
そう思っても、結局翌日も履いて出かける。
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昭和39年暮れ、東京のS区へ引っ越す。
小学校へは徒歩で10分程度。
数年後に通うことになる中学校へも5分程度という近さだ。
それまでの通学時間に較べたら、呆気ないったらない。
当時はまだ、放課後校庭に居残って遊ぶことが許される
「大らか」且つ「安全な」時代だったので、
大抵の日は、校内放送のスピーカーから「蛍の光」が流れるまで、
「ピンポン」と呼ばれるボールゲームか、
ゴムボールを使った「手打ち野球」に夢中の僕だった。
球技は得意だった。
勉強は、、、二の次。
成績は、まぁ、良くもなく悪くもなく、、。
友達は多かった。
背は男子二十数名中、だいたい前から7-8番目。
やや小柄で痩せた少年。
いわゆる坊ちゃん刈りではあったけど、
長めの前髪を額の左側から右へサラりと流す「横分けスタイル」。
自分で言うのもなんだけど、、
きっと、、坊や坊やした印象だったに違いない。
(と、、誰にも言われたことないけれど・・・)
さらに、
真冬の雪の日でもない限り、ほぼ一年を通して半ズボン。
それでも寒い日は、太ももに鳥肌が立っていたし、、
きっと、唇だって紫色だったに違いない。
ちなみに、
親の好みで靴下は「白」と決まっていた。
このブログのメインカテゴリーである「想い出」が、
そろそろ昭和40年代の話に移ろうとしている。
そこで、と言ってはなんだけど、
もう一方のメインカテゴリーである「音楽」についての
話題もたまには書いておこうと思う。
というのは、たまたま盟友タイガー佐野氏が
氏のブログ「虎や日記」の中で、
このような事を書いていたから。
「I'm believing」。
僕と佐野さんとの98年頃の共作だ。
ある日のこと、僕がピアノに向かって適当にコードを
弾いていたところ、突然降って湧いてきたメロディー。
そのメロを佐野さんに聴いてほしくて、テープレコーダーに
デタラメ日本語(英語じゃない!)とともに吹き込んだ。
で、そのメロとデタラメ日本語にインスパイアされた佐野さんが、
日本語の補作詞と英語の詞をつけた。その後、いくつかの
変更は加えたものの、当初からこの曲には、他の曲にはないパワーを
感じていた。
佐野さんとのコンビで演奏する時以外には、僕のソロで数回、
オリジナル「漠人」ではたった一回しか演奏したことのない曲。
自信をもって聴いてほしい曲であるにもかかわらず、
何故か演奏するチャンスが少ない。何故?
理由は簡単だ。
僕の頭の中にあるこの曲の理想のアレンジと、
実際僕らの力でやれる演奏との差がありすぎて、
つい二の足を踏んでしまうのだ。
もともとはピアノ一本で作った曲だから、
おそらくギター一本でも、ギター二本でも、ある程度は
表現できるのだとは思う。
でも、、本来この曲の持っているスケールと、
どこか相容れない部分を、僕は感じてしまっていて、
なかなか演奏できないでいた。
それが、今日、、先の佐野さんの「虎や日記」を読んで、
少しだけど、、気づかされた。
数年前、僕と佐野さんは『イフ』でこの曲を演奏している。
ふたりともかなり荒れた歌い方だし演奏なんだけど
(おまけにハコはノイズィー・・)、たぶん僕も佐野さんも、
頭の中では、フルバンド、フルテンで延々6分のアドリブソロありの、
全12分位の曲をイメージして演奏していると思う。
僕のHPに音源をアップしている。よろしければ!!
『I'm believing』
どうも勘違いをしていたようだ。
K市から東京へ越したのは、
おそらくは昭和39年の暮れに近かったような気がする。
なぜなら、その年は東京オリンピックの開催年であり、
新幹線の開通という歴史的な秋でもあったわけで、
僕は家族と、その新幹線の開通日にK市内の沿線へ出かけ、
ひかりの勇姿をこの目で見たのをハッキリ憶えているのだ。
昨日、そんなことをお袋と話をしていたら、
やはり僕の記憶に間違いはなかったらしく、
「そう、アナタが三年生の暮れのことよ。」と
言っていた。
昭和39年夏、父親の仕事の都合で、
約4年間住んでいたK市を離れ、
再び東京都S区へ移り住むことになった。
それまでの電車通学の日々が一転した。
小学校からの距離約500メートル、歩いて10分前後。
結局この町が、
その後も僕のホームグラウンドであり続け、
今も真から「地元」と呼べる町なのだ。
駅前にも小さなスーパーマーケットがあるにはあった。、
が、ガードをくぐった向こうには、多少だが垢抜けた商店街があって、
夕方は母親にくっついて、そっちの商店街へしばしば出かけた。
たまに「8マンシール」の入ったふりかけを買ってもらった日には、
それこそ天にも昇るくらいに嬉しくなってしまう僕だった。
年の瀬、商店街では『歳末福引セール』の真っ最中。
母親と僕は買い物帰り福引会場へ寄った。
たしか、抽選は三回ぐらいだったように思う。
僕は、回転式の福引台をガラガラと回した。
なんと、、特賞の黄色い玉がポロリと飛び出したのだった。
「おめでとうございまぁぁす!」の声。
そしてチリンチリンとけたたましい鐘の音。
「ボク!おめでとう!よかったね。
特賞だよっ! 商品は、新宿コマ劇場ご招待!」
小学校低学年の僕にとって、「劇場招待」とか言われても、
およそピンと来るものではなかったけど、
とりあえず、中の方からこみ上げてくる嬉しさはあった。
後日、新宿コマ劇場へ出かけた。もちろん母親とふたり。
喜劇だった。
さすがに、芝居のタイトルは憶えていない。
が、座長は当時大人気の宮城まり子。
共演者に、左とん平、有島一郎、、、。
鮮明に記憶しているのが、宮城まり子の小坊主姿。
そんなことがあって以来、
家族は僕のことを「クジ運が良い」というようになったが、
たった一度きりの、これもビギナーズラック?
単なる思い込みでしかない。
小学生の頃のはなし。
同級生のA君は小柄。顔立ちは丸く愛嬌がある。
勉強はそうできるほうではなかったし、
運動だって、動きに全くバネを感じさせない
とっても不器っちょな身のこなし。
そこへきて性格は、いたって生真面目ときているから、
クラスメートは、彼のことを今で言う「ドン臭いヤツ」と
感じていたようだ。もっともそれはそれで、
クラス内での彼のポジションは確立していたし、
決して浮いた存在ではなかった。
さしずめ現代ならイジメの対象にもなり兼ねないような
キャラクターだったかも知れない。
そんな彼と僕は何故か親しかった。
「今日さぁ、ウチで遊ぼうよ。」
誘われるがまま、初めてA君の家へ遊びに行った。
道路からコンクリートの階段を4.5段昇る。
自宅の1階は、工場だった。
電気部品を扱う町工場だったような気がする。
更に脇の鉄製外階段をタンタンと昇る。
狭い玄関で靴を脱ぎ、六畳ほどの和室へ上がる。
まだ母親は出かけて帰っていないらしい。
和室の窓際に四角い座卓。
その上の大きな「戦艦」のプラモデルが目に飛び込んだ。
僕などはまだ買ってもらったこともないような大きな戦艦。
父親とでも一緒に作ったのだろうか、
きちっと作り込んであるのがわかった。
もうその時点で僕は、
学校とは違う彼の知られざる一面を見せられてしまったようで、
ちょっとドギマギするのであった。
さらに、きちんと整理した教科書や漫画本と並んで、
僕の好きだった戦記物の本や忍者本なんかもあって、
どうしたって彼を、羨望の眼差しで見てしまう僕だった。
しばらくすると、母親が帰って来た。
「いらっしゃぁい。こんにちは。」と、
明るく声をかけてくれた彼の母親は、
A君とは似ても似つかぬ爽やかな笑顔の女性で、
僕の知っている友達のどの母親よりも、若く可愛らしい人だった。
子供の僕から見ても、「可愛らしく」感じたのが、
今となっては妙な話なのだが、、
そうして僕は、彼の知られざる私生活にますますドギマギするのだった。
彼の母親に促され、僕らは家の外で遊ぶことになった。
すると、道路へ下りるやいなや、A君は僕を残して、
そう、バネのない走りでスタスタと、角を曲がり、
やがて見えなくなった。
『どうしたんだろう・・』と思う僕。
その間も話し相手になってくれるA君の母親。
しばらくすると、A君が手に紙包みを持って戻って来た。
「はい、これ。」と言って彼が差し出したのは、
揚げたてのコロッケだった。
どうやら母親が彼に小遣いを渡して、近所の肉屋へ買いに行かせたらしい。
「どうぞぉ。」
そのアツアツを、僕ら三人はその場で食べた。
コロッケをオヤツ代わりに食べるのは、これが初めてのこと。
ほとんどカルチャーショックな気分だった。
僕と彼の母親は、コンクリートの階段に腰掛けながら、
彼は落ち着きなく道端をフラフラしながら、、、。
『やさしいお母さんだなぁ・・』なんて思いながら、
僕はジャガイモの香りと塩味の効いたコロッケを頬張っていた。
30才ちょっと前だったろうか、久しぶりに彼と再会した。
印象も昔のまま、、童顔な男になっていた。
今も自宅はあの場所だという。
「オフクロさん元気?」って訊く僕の複雑な胸の内を、
彼は知る由もなかったろう。
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PROFILE
HN:
ば く ( BAKU )
HP:
性別:
男性
自己紹介:
Man of middle age
Singer;Song writer;Guitar player
東京都出身・O型・魚座
1995年3月:音楽活動再開
【BAKUJIN】【Fu's all time】等
バンド活動多数。
加えて、現在も
【えにし】【りずみん】
【So-BAND】【SPUU】etc...
バンド活動であったり、
ギター弾き語りストであったり、
ウクレレ講師であったり、
サポートギタリストであったり。
Singer;Song writer;Guitar player
東京都出身・O型・魚座
1995年3月:音楽活動再開
【BAKUJIN】【Fu's all time】等
バンド活動多数。
加えて、現在も
【えにし】【りずみん】
【So-BAND】【SPUU】etc...
バンド活動であったり、
ギター弾き語りストであったり、
ウクレレ講師であったり、
サポートギタリストであったり。
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