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ばく の音楽活動と日常を綴るブログ since August,2003

昭和39年夏、父親の仕事の都合で、
約4年間住んでいたK市を離れ、
再び東京都S区へ移り住むことになった。

それまでの電車通学の日々が一転した。
小学校からの距離約500メートル、歩いて10分前後。

結局この町が、
その後も僕のホームグラウンドであり続け、
今も真から「地元」と呼べる町なのだ。
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駅前にも小さなスーパーマーケットがあるにはあった。、
が、ガードをくぐった向こうには、多少だが垢抜けた商店街があって、
夕方は母親にくっついて、そっちの商店街へしばしば出かけた。
たまに「8マンシール」の入ったふりかけを買ってもらった日には、
それこそ天にも昇るくらいに嬉しくなってしまう僕だった。

 年の瀬、商店街では『歳末福引セール』の真っ最中。
母親と僕は買い物帰り福引会場へ寄った。
たしか、抽選は三回ぐらいだったように思う。
僕は、回転式の福引台をガラガラと回した。

なんと、、特賞の黄色い玉がポロリと飛び出したのだった。

「おめでとうございまぁぁす!」の声。
そしてチリンチリンとけたたましい鐘の音。

「ボク!おめでとう!よかったね。
 特賞だよっ! 商品は、新宿コマ劇場ご招待!」
 
小学校低学年の僕にとって、「劇場招待」とか言われても、
およそピンと来るものではなかったけど、
とりあえず、中の方からこみ上げてくる嬉しさはあった。


後日、新宿コマ劇場へ出かけた。もちろん母親とふたり。
喜劇だった。
さすがに、芝居のタイトルは憶えていない。
が、座長は当時大人気の宮城まり子。
共演者に、左とん平、有島一郎、、、。
鮮明に記憶しているのが、宮城まり子の小坊主姿。

そんなことがあって以来、
家族は僕のことを「クジ運が良い」というようになったが、
たった一度きりの、これもビギナーズラック?
単なる思い込みでしかない。


小学生の頃のはなし。

同級生のA君は小柄。顔立ちは丸く愛嬌がある。
勉強はそうできるほうではなかったし、
運動だって、動きに全くバネを感じさせない
とっても不器っちょな身のこなし。
そこへきて性格は、いたって生真面目ときているから、
クラスメートは、彼のことを今で言う「ドン臭いヤツ」と
感じていたようだ。もっともそれはそれで、
クラス内での彼のポジションは確立していたし、
決して浮いた存在ではなかった。
さしずめ現代ならイジメの対象にもなり兼ねないような
キャラクターだったかも知れない。
そんな彼と僕は何故か親しかった。

「今日さぁ、ウチで遊ぼうよ。」
誘われるがまま、初めてA君の家へ遊びに行った。


道路からコンクリートの階段を4.5段昇る。
自宅の1階は、工場だった。
電気部品を扱う町工場だったような気がする。
更に脇の鉄製外階段をタンタンと昇る。
狭い玄関で靴を脱ぎ、六畳ほどの和室へ上がる。
まだ母親は出かけて帰っていないらしい。

和室の窓際に四角い座卓。
その上の大きな「戦艦」のプラモデルが目に飛び込んだ。
僕などはまだ買ってもらったこともないような大きな戦艦。
父親とでも一緒に作ったのだろうか、
きちっと作り込んであるのがわかった。
もうその時点で僕は、
学校とは違う彼の知られざる一面を見せられてしまったようで、
ちょっとドギマギするのであった。
さらに、きちんと整理した教科書や漫画本と並んで、
僕の好きだった戦記物の本や忍者本なんかもあって、
どうしたって彼を、羨望の眼差しで見てしまう僕だった。

しばらくすると、母親が帰って来た。
「いらっしゃぁい。こんにちは。」と、
明るく声をかけてくれた彼の母親は、
A君とは似ても似つかぬ爽やかな笑顔の女性で、
僕の知っている友達のどの母親よりも、若く可愛らしい人だった。
子供の僕から見ても、「可愛らしく」感じたのが、
今となっては妙な話なのだが、、
そうして僕は、彼の知られざる私生活にますますドギマギするのだった。

彼の母親に促され、僕らは家の外で遊ぶことになった。
すると、道路へ下りるやいなや、A君は僕を残して、
そう、バネのない走りでスタスタと、角を曲がり、
やがて見えなくなった。

『どうしたんだろう・・』と思う僕。
その間も話し相手になってくれるA君の母親。

しばらくすると、A君が手に紙包みを持って戻って来た。

「はい、これ。」と言って彼が差し出したのは、
揚げたてのコロッケだった。
どうやら母親が彼に小遣いを渡して、近所の肉屋へ買いに行かせたらしい。

「どうぞぉ。」

そのアツアツを、僕ら三人はその場で食べた。
コロッケをオヤツ代わりに食べるのは、これが初めてのこと。
ほとんどカルチャーショックな気分だった。
僕と彼の母親は、コンクリートの階段に腰掛けながら、
彼は落ち着きなく道端をフラフラしながら、、、。

『やさしいお母さんだなぁ・・』なんて思いながら、
僕はジャガイモの香りと塩味の効いたコロッケを頬張っていた。



30才ちょっと前だったろうか、久しぶりに彼と再会した。
印象も昔のまま、、童顔な男になっていた。
今も自宅はあの場所だという。

「オフクロさん元気?」って訊く僕の複雑な胸の内を、
彼は知る由もなかったろう。

guitars

観客はまだ誰も僕を知らない。
どんな演奏をするのか、
どんな歌を歌うのか。
興味津々と言えなくもないが、
戦々恐々という心境に近いかも知れない。
そして、互いの距離感は、ほんの数小節を
僕が演奏した時点でほぼ決まる。

すべての観客が僕に、ウェルカムであろうはずがない。
心からライブを楽しみに訪れた人もいれば、
たまたま何かの付き合いで、その場に居合わせてしまった
人も中にはいるだろう。
受けとめ方、楽しみ方は人それぞれだ。
僕の演奏をBGMにしたいと思えばそれでもいい。
感動して目を潤ませてくれる、、それもまたいい。

とにかく、
その空間を共有するすべての人に僕は、
音楽を提供しなくてはならない。
すべての人の心に届くよう、歌わなくてはならない。

演奏上の単純なミスよりも、
どこか気持ちの乗らない演奏をしてしまった時のほうが、
今の僕には悔いが残ってしまう。
jin

過去何度となく練習し、本番で演奏しつづけてきた曲が、
今回は、どれも新鮮な気持ちに演れたこと。
演奏後のメンバーの顔が、みな満足げだったこと。



何箇所かのライブハウスで、定期的に演奏させてもらっているBAKUJIN。
でも、
お客さんや仲間、或いは店の側から、どんなに好評をいただいても、
実は、自分の「実力」に対して確固たる「自信」はもてないでいた。
ライブの度に、決して小さくはない音楽的な課題は残ったし、
時には、それに押し潰されてみたり、、それの繰り返しであった。

だが、今回は違った。

細かいミスや「らしからぬ」不手際は相変わらずある。
でも、BAKUJIN流が通じた、、届いたという手応えを感じたのだ。
それが何よりの自信となった。


BACK IN TOWN、そして同店へ出演の常連ミュージシャンの多い
観客の前での演奏というのが、結構プレッシャーに感じていた。
それこそ、生ギターにプラグインしていることさえ、
『ありゃりゃ?』なんて思われてはいやしないか、、
『そんな荒っぽいカッティングじゃダメダメ!』
『コーラスなんかかけてるの?』
『ボリュームペダルなんか使っちゃって!』と、、
ふだん、なんとなくではあるけれど、自分でも100%「善し」とは
していないステージングを、どう思われてるか気になって
仕方なかったのだ。いや、、そうしないと表現できない僕らの
音楽であることも事実なのだが、でもそれを同店でやっていいのか?
という躊躇もあったから。

その分?、頑張ってコーラスをやるから、どうか聴いてくださいよ!

そんな気分の40分間だった。
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PROFILE
HN:
ば く ( BAKU )
HP:
性別:
男性
自己紹介:
Man of middle age
Singer;Song writer;Guitar player
東京都出身・O型・魚座
1995年3月:音楽活動再開
【BAKUJIN】【Fu's all time】等
バンド活動多数。
加えて、現在も
【えにし】【りずみん】
【So-BAND】【SPUU】etc...

バンド活動であったり、
ギター弾き語りストであったり、
ウクレレ講師であったり、
サポートギタリストであったり。
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